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人間の奥底に流れるものを思い出し、自分の生き様を振り返させられるような思いを、ほっちのロッヂの表現を見るたびに感じる。 これまで生きてきた人たち、今生きている人、これから生まれてくる人が人として大事にしてきた/いくもの。そこには、性別も、病気や障害の有無も、年齢の差異も、上下関係も、何もない。 これからも、そんなものを大事にする表現を続けていって欲しい。(東京大学 医学部 健康総合科学科 看護科学専修 西川)

2020年4月から順に、ほっちのロッヂの全ての事業が始まります。
この #ほっちのロッヂの始まりファンファーレ202004 は、ほっちのロッヂメンバと普段関わりがあり、それでいて、持論がピリっとおありの方々に、「ほっちのロッヂの始まりに思うこと、期待すること」について思うことを綴っていただく試みです。どんな切り口で語られていくのか、乞うご期待!

こんにちは。西川といいます。

4月からどんなことがほっちのロッヂの周りで起こっていくのか、ちょっと想像するだけでもものすごく楽しみです。自分がこのコラムリレーを書かせていただくことの光栄を噛み締めながら、ファンファーレを鳴らさせていただきます。

と言いつつも、これを読んでくださっている方の中で、僕のことを知っているという人はおそらくほとんどいないのではないでしょうか。ということでまずは自己紹介から。

西川 敦彦といいます。東京都内の大学3年生です。
ほっちのロッヂとは、2019年の11月に見学訪問をさせていただいて以来、関わりをもたせていただいています。初回の訪問以来、このコラムが出るまでの4ヶ月のうち2回も軽井沢に来ています。半年の間で実家よりも軽井沢に行ってる回数の方が多くて僕もびっくりです(一人暮らしです)。

なんでこんなにこの地にハマってしまったのか。

もちろん軽井沢高原ビールのおかげだけではありません。そう、今まさにファンファーレを送ろうとしているほっちのロッヂを好きになってしまったからですね。その思いを、2020年4月の全事業の始まりに際して思うままに表現させてもらえればと思います。
僕がほっちのロッヂに対して感じてきたことが、きっと他の人にもどこかで通じると信じて。

「あたりまえ」の感覚

ほっちのロッヂのリトルプレスは『まちにたたずむ。』という名前がつけられています。「たたずむ」という言葉からは、「その場に居させていただく」という、自分が身を置いている環境に対する感謝のようなものを感じます。

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僕は、初めてほっちのロッヂに来た時に、自分が生きる場への敬意や謙虚な思いを常に備えながら生活していくという、日々の生活の中でいつしか忘れてしまっていた感覚を強く思い起こされたような気がしました。それは、ほっちのロッヂのみなさんと軽井沢の町の人との関わり方や、拠点とする建物が醸し出す雰囲気であったり、何よりもここで働く皆さんから感じていたのだろうと思います。

例えば、周りとの環境との溶け込み具合なんかもものすごくしっくり来ます。現在建設中のほっちのロッヂの診療所やデイサービスなどが入る建物(今日引き渡しですね!)は、この地にもともと生えていた木を利用しながら建てられています。その場所に元からある木や植生の中で、人間が必要な分だけをいただき、あとは邪魔をしない。

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周りにあるものを尊重しながら、その中で人間が生活をさせて「いただく。」そんな生き方・佇み方をほっちのロッヂは示してくれているように感じます。

さらに言えば、その先見性は、周りの環境に対するその姿勢をひとと接するという場面にも応用しようとしているところなのではないでしょうか。ほっちのロッヂが示そうとしているひととの関わり方には、ここまで書いてきたようなことが通底しているのではないかと大いに感じます。ここからはそう感じたものを書いていきます。

生活を支えるお手伝いさん

ほっちのロッヂが4月からやっていく事業は、わかりやすく表現すれば【診療所】【病児・障害児保育】【デイサービス】【訪問看護ステーション】ですね。訪問看護はすでに2019年9月より始められておりますが。もちろんこれはわかりやすく表現すると、です。

一見すると医療拠点に見える場がまちに入り込んでいくには、どうすればいいのか。2019年11月に見学をさせてもらった時には、そんなところも見てきました。

おそらくですが、医療や福祉の専門職としての顔をありありと出していくと、どうしてもそこで関われる人は限られてしまうのではないでしょうか。専門職としての顔を持っている自分を自覚しつつ、そうではないつながり方を模索していく。「ほっちのお茶会」や「イキザマ展」の開催は、その最たる例と言えそうです。

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友人を連れて、2回目に軽井沢に伺った際の話です。
西川「ほっちのロッヂっていうところに行くからHP見といて」
友人「オッケー」

・・・しばらくして・・・

西川「HP見た?どう??」
友人「うん、ある程度見たけど、何やってるところなの?」
西川「あー、そうだよねー。」
ということがありました。

運営元は医療法人だけど、何をやってるのかがわかんないんです。「在宅医療を広めよう」などの意図が、いい意味で感じられない。

ひとの生活にとって、医療はほんの一部。それが大きな顔をして踏ん反り返っていては、対話なんてできるはずがありません。もちろん、病態に目をつけることは非常に重要です。それが生活にどんな支障を及ぼしているのか、その影響を抑えながらその人が生活を営むためには、どんなケアを行なっていけば良いのか。人の生活を支えるためには欠かせない視点です。

ただ、そこだけに目をつけていては、生活を支えるということはできるでしょうか。病気を持っていなかった頃のその人の生活は?そこには医療のつけいる隙はなかったでしょう。その人が好きなものは?得意なことは?どんな友人がいて、どんなことをしている時に楽しいと思うのだろうか?
それを追究する姿勢が、周りからすると「何やっているのかわからない」という見え方になっていくのではないでしょうか。

そんな風に、その人の生活をまるっと診ていくこと。生活のそばにいること。そして、その人が大事にしてきたものを邪魔しないこと。関わり方にあえて幅をもたせつつ、芯は外さずに付き合っていく。これからは、そんな関わりが求められていくのではないでしょうか。

生活を支えることには、健康に対する視点が欠かせません。その点で、医療というカードを切ることができるほっちのロッヂは、ひとの生活を支えるということはなんたるかを、持てる手札を使いながら示していってくれるのではなかろうか。そう思っています。

形あるものを生み出すこと

ケアとは、その場その場で行われる一回限りのものです。ケアをするひとにも、される人にも、その人の過去があるわけです。その積み重ねが少しでも違えば、表現されるケアはきっと異なるでしょう。ケアする-される、という関係も、いつそれが逆転するかもわかりません。

一回ケアを行なったからといって、次に同じ状況は決して起こらない。何かが違うはずです。日時も違う、体調も違う、前の日にやっていたことも違う。新たなケアを生み出すことを、いかに楽しめるか。それが、「医療福祉のクリエイティブ職」という言葉で表現されるものでしょう。

自分と相手というそれぞれ異なる存在が、お互いに対話をしながら、共同作業としてケアという形ものを都度都度で生み出していくこと。一筋縄でいくものではないでしょう。同じことの再現が難しいからこそ、楽な作業ではないと思います。
ただ、そんな大きな苦労を乗り越えた後で(もしかしたら、その苦労さえも「苦労」として捉えてはいないのかもしれませんが!)ケアというものが生み出されていく。そんなケアの生み出され方は、受け手・作り手関係なく、関わる人全員の対等な関係の中でケアを取り巻いていくことにつながっていくのではないでしょうか。

理想だけでなく、現実の世界の中で、ケアという形を通して表現をしていく。ほっちのロッヂはそんな実践のさきがけの場になっていくのではないか、と思っています。

これから

ほっちのロッヂは、表現をとても大事にしているなと思います。それは言葉なのかもしれないですし、芸術などの別の形かもしれません。ただ、人間の奥底に流れるものを思い出し、自分の生き様を振り返させられるような思いを、ほっちのロッヂの表現を見るたびに感じます。
これまで生きてきた人たち、今生きている人、これから生まれてくる人が人として大事にしてきた/いくもの。そこには、性別も、病気や障害の有無も、年齢の差異も、上下関係も、何もありません。
これからも、そんなものを大事にする表現を続けていって欲しいです。

最後に、大学に通っている人間として。ほっちのロッヂで生み出されるものが広まっていってくれるといいな、とちょっぴり思っています。ただ、そっくりそのままコピーしても他の地で通用するかはわかりませんし、成功するかは保証できません。研究でしばしば話題に上る「再現性」というものに近いでしょうか。

そういう点からも、ほっちのロッヂのこれからに期待しています。全てを適用できないにしても、ほっちのロッヂの表現を見た人の中の何かが少しでも変われば。人の生活との関わり方に、こんな仕方があるのか!と思う人が一人でもいれば。ちょっとずつでも、「再現」という形でなくとも、活動のエッセンスは伝播していくのではないか、と思います。そして、そんな広がり方の可能性があることにこそ、個々の事例が周知される意義があるのではないかと思っています。
ほっちのロッヂという一つの実践が、周りにどんな影響を与えていくのか。いつかは研究を志す人間としても、見つめていたいと思います。

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ほっちのロッヂに咲いた花の種が春の風に乗ってどこかに落ち、そこに新たな芽が芽吹いてまた違う形の花を咲かせる。
そんな様子への期待と、軽井沢で躍動するほっちのロッヂの皆様への応援を込めつつ、ファンファーレの締めくくりとさせていただきます。

最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。

書き手:東京大学 医学部 健康総合科学科 看護科学専修3年 西川 敦彦