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「地域」という言葉は「歩いて通える範囲」、高齢者は「おいしいお漬物のつくり方を知っている」「素敵な編み物できる」「暮らしの先生」。高齢者福祉施設にいたっては「地域社会の知識が出会う交流拠点」となる。これまでデイサービスとかグループホームなんて名称で呼んでいた自分はなんて勿体無いことをしていたのだろう?(安部良・建築家 Architects Atelier Ryo Abe 代表)

2020年4月から順に、ほっちのロッヂの全ての事業が始まります。
この #ほっちのロッヂの始まりファンファーレ202004 は、ほっちのロッヂメンバと普段関わりがあり、それでいて、持論がピリっとおありの方々に、「ほっちのロッヂの始まりに思うこと、期待すること」について思うことを綴っていただく試みです。どんな切り口で語られていくのか、乞うご期待!

「ほっちのロッヂの始まりについて思うこと、期待すること。」
安部良 Architects Atelier Ryo Abe 代表

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僕は2010年、瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま/香川県)に、瀬戸内国際芸術祭の参加作品として「島キッチン」を設計しました。島キッチンは普通のレストランではなく、島のお母さんたちを主演に、彼女たちの手料理を楽しみながら、アーティストのパフォーマンスも体験できる「劇場」です。もてなす側ももてなされる側も元気になる。こういうのを福祉観光施設っていうのかな?なんて考えながら設計をしました。

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時は巡って2015年、場所は岡山県の山間部に位置する西粟倉村(にしあわくらむら)。休業していた村営の温泉旅館を、高齢者の在宅生活を応援する施設「あわくら温泉元湯」に改装する設計をしました。

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温泉旅館の機能(泊まる・温泉に入る・食事するetc.)をバラバラに分解することで、より多くの人が気軽に立ち寄れる場所(=村の交流拠点)がつくれるかもしれないと考えました。村の人たちが日常的に使える日帰り入浴とカフェを併設して、素泊まりができるゲストハウスにしたらどうだろう?高齢者たちが体操したりおしゃべりしたり、近隣の寄合にも使い勝手の良い宴会場も欲しい。玄関には子供サイズの「キッズ番台」や授乳室付きのキッズカフェをつくって、村に移住してきた子育て世代の家族が日常的に利用しやすい場所に。そして軒先には村で一番大きな縁側をつくろう。小さな子供たちや若い人たちが集まるような場所だったら、きっと村のおじいちゃん、おばあちゃんたちにとっても嬉しい施設になるはずだから。

僕たちが提案したのは、そうした高齢者・移住者・観光客の交流の場になるような“緩やかでフレキシブルな福祉施設”。最初は驚いていた村役場の人達も色々と機転を利かせてくださって、「館内の段差をスロープにして各所に手すりを設置すればOK」というシンプルな解決案を導き出してくれました。

「島キッチン」をつくった豊島ではもう一つ、70年間続いた乳児院の移転にともなって立ち上げられた「豊島の福祉を考える協議会」に参加して、使われなくなった施設の再利用計画をつくりました。障害のある人もない人も、島の中の人も外の人も、誰もが自分らしく“ありのまんま”で過ごせる大きな家、“新しい福祉を実践できるホテル”が出来たら良いなと考えて、銭湯とカフェのあるゲストハウス「mamma」を設計しました。将来はすぐ隣にある特別養護老人ホームと連携して、裏山も広場も一緒に活用した島の福祉の拠点ができたら良いなという、マスタープランもつくりました。

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そんな風にこの10年くらい、建築を通した地域活性のプロジェクトに関わりながら「観光」とか「移住」とか、地域が掲げる取り組みに「新しい福祉」というキーワードを掛け合わせ、“地域のコミュニティーが見える場面”をつくり出そうとしてきました。ただ、つくり出したい場面のイメージはあってもそれを地域の人たちと共有するには時間がかかります。
 島キッチンはオープンから6年ほど経ってようやく、毎月開催の「島のお誕生会」などを通して、島の人たち自身の居場所として馴染んできたように思います。

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あわくら温泉元湯では、僕も厨房に入って運営チームと一緒にイノシシ料理の開発をしたり、事務所のスタッフや海外からやってくるインターン生と一緒に元湯研修に出かけたりしました。村で起業している移住者たちと一緒に、浴場の椅子をつくったり、利き酒のイベントを開いたり、そうこうしているうちに、元湯のカフェは移住者たちの情報交換の場になり、宴会場には全国から西粟倉村の取り組みを学びに来る研究者や行政の人たちが集まって、大学生たちが研修生として厨房で働いて、と当初想像していた以上の多様な交流の場面が生まれていることを感じています。

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mamma では運営チームがチェックインに30分もかけて、建物の歴史や取り組みを丁寧に説明してくれます。そうすることで口コミも広がり、たくさんの海外ゲストや何度もリピートしてくれるお客さんたちが増え、定期的に通ってくる島民との間に交流の場面が見え始めています。

設計すること、建物を建てることは場面づくりのプロセスの一部でしかなくて、“場面”は建築完成後に続いて現れてくるものです。だからこそ、建物が完成したあとも僕の仕事は続いていると思っているし、そこで生まれている新しい場面に立ち会いたくて、関わり続けている現場がたくさんあります。

最近では設計する前から地域の人たちと関わり始めて、一緒にどんな内容の建物にするべきかを考える、そんな設計スタイルのプロジェクトも始まっています。

2019年、TURN meetingで初めて出逢った藤岡さんが、ご自身の職業を「福祉環境設計士」と名乗られていることにハッとしました。福祉環境設計って!これこそ、いま僕がやろうとしている仕事なんじゃないのかな?これまでいろんな場所でイメージしながら、ぴったりの表現ができなくてモヤモヤ…。そう、僕が試行錯誤し続けている“場面づくり”って、福祉環境設計だったの???

藤岡さんが手がける施設には「長崎2丁目家庭科室」とか「ほっちのロッヂ」とか、一見して何の施設だかわからない名前が付いています。でも、なんだか解らないから一度覗いてみようかな?と思いたくなる愛嬌があります。そして、それらのプロジェクトについて発表される藤岡さんの口からは、新しい建築や新しい場面が生み出せそうな可能性を秘めた言葉が次々に溢れてくるのです。まさに目から鱗がぽろぽろ。僕たちが漠然と使っている「地域」という言葉は藤岡さんにとっては「歩いて通える範囲」だし、藤岡さんが言葉にすると高齢者は「おいしいお漬物のつくり方を知っている」「素敵な編み物できる」「暮らしの先生」なのです。高齢者福祉施設にいたっては「地域社会の知識が出会う交流拠点」となってしまう。これまでデイサービスとかグループホームなんて名称で呼んでいた自分はなんて勿体無いことをしていたのだろう? なんだかワクワクしてきた僕は、自分が座長をしている研究会にも藤岡さんをお招きして、準備中のほっちのロッヂについてもっと詳しく聞いてみたいと思ったのです。


色々な地域での活性プロジェクトが繋がりをつくってくれて、昨年からは東日本大震災で事故があった福島第一原発の近隣、ふくしま浜通り地域をアートや文化という切り口から考える研究会「ふくしま浜通り文化育成・発信ワーキンググループ」を、大学の研究者の皆さんたちと始めています。ここでも僕は「アート」と「新しい福祉」とを掛け合わせることで、この地域ならではの文化を育て、世界に向けて発信する方法が見つかるのではないか??と考えています。藤岡さんを講師にお招きした研究会では、僕たちが進めようとしている地域プロジェクトのヒントになるような言葉をたくさんいただいて、本当にクリエイティブな時間を共有することができました。

研究会の最中に僕がノートに書き留めた藤岡さんの言葉を繋ぎ合わせてみると、ほっちのロッヂという場所は、「サービスをする人とされる人に分けるのではなく」、「症状や状態、年齢じゃなく、好きなことをする仲間として出会う」というコンセプトのもと、「誰かの得意と誰かの苦手が出会う場所」であり、「子供の目の前で展開されるケア」を実践する。そして「福祉施設を小さな文化施設として開いてゆく」プロジェクト。そこには「なんとなくの距離感」があって、「誰かと一緒に“一人”になれる場所」らしいのです。 

こんな場面を僕たちもつくってみたい、体験をしてみたい。そんな気持ちでいっぱいになりました。研究会で一緒に藤岡さんの話を聴いた研究者の皆さんたちも、何やらムズムズし始めた様子で翌日からたくさんの連絡がありました。来年度の新しいプロジェクトを立ち上げましょうと協力施設を探し始めたり、活動資金獲得のための相談をし始めたり。次の週には早速みんなで一緒に福島まで行って、現地の施設の人たちと相談をして、ワクワク、ソワソワしながら動き始めたのでした。

そんなみんなの様子を見ながら、僕はまたまたまたハッと閃いたのです。この、じっとしていられない気持ち、新しい場面をつくり出したい気持ちを周りの人に感染させてしまう情熱こそが「福祉環境設計士」の正体なんじゃないのかな?と。

ほっちのロッヂを訪れる人たちが、そこで展開されている場面を体験して、ドキドキやワクワクやソワソワを持ち帰って周りの人に伝えてしまう。そうやってたくさんの人たちを感染させるための拠点づくりを今、藤岡さんは進めているのではないだろうか?ほっちのロッヂを舞台に藤岡さんの情熱が伝染して、新たなる福祉環境設計士が生まれる瞬間を見てみたい。

ほっちのロッヂを中心に、福祉環境設計士という情熱がジワジワと日本中に広まってゆくことを思い浮かべながら、軽井沢を訪れる日がますます楽しみでしょうがなくなっています。

かくいうこの僕も、藤岡さんと出会ったその日に福祉環境設計士2号を宣言したのでした。ほっちのロッヂの取り組みを励みにしながら、このドキドキやワクワクやソワソワを、一人でも多くの人たちに伝えて参ります。

そしてほっちのロッヂに期待すること。

どうにかして僕も、仲間に混ぜて欲しい。笑

書き手:(あべ りょう/建築家・福祉環境設計士見習い中)
Architects Atelier Ryo Abe 代表