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今までの自分を捨てるのではなく、大切にしながら、福祉の世界にそれを持ち込んでもらいたい。あなたの世界を持ち込んで、隣の人の生活をより豊かなものにしてほしい。それがきっとあなたの命を輝かせることにもなる。(医療法人かがやき 総合プロデューサー 平田)

2019年9月より、ほっちのロッヂの訪問看護事業(のようなもの、という表現にとどめておきます)が、一足先に始まります。

この #ほっちのロッヂの始まりファンファーレ201909 は、ほっちのロッヂメンバと普段関わりがあり、それでいて、持論がピリっとおありの方々に、「福祉に関わる働き手」について思うことを綴っていただく試みです。
どんな切り口で語られていくのか、乞うご期待!

(2020年4月、建物の完成と共に始まるほっちのロッヂの全事業開始時にも、このコラムリレーを企画しますので、お楽しみに!ほっちのロッヂメンバ一同より)

パンパカパーン!!パン、パン、パンパンパカパーン!!

ファンファーレなんて言われると、こんな音が浮かんでくるのは・・・、ある一定年齢以上の人だけ?どう??最近自分の中の「常識」にドキドキするんですよね。若い人に「あ、それわかんないです」とか言われてはじめて「あ、昔の話ね。今は違うのね」と気づくわけで。

というところから入ると、この人はそれなりに高齢な人か?とみなさん思うわけでしょうが、この「高齢」って定義が今はもうわけわかんなくなってますよね。

ちなみに私が20代の時、50代の自分なんて想像できませんでした。50代でカッコよくて、楽しそうなおばさんなんて知らなかった。「50代なんてなりたくな〜い!」当時の私にとって50代は完全に「高齢者」でした。

そんな私が50歳を目前に、広告業界から足を洗って(足を洗う、とか日本語の身体を使った比喩表現、最近あまり使われないけど好きだわ)在宅医療の世界に入ったのは「これから20年、自分の人生を傾けていける仕事をしよう」と思ったから。・・・人は変わっていくねぇ。年を重ねるうちにすっかり70歳までは高齢者ではなく「現役」のつもりでいる。

自分から遠いものはイメージがわかないし、ちょっと怖い。

近づいてくると「なんだ、こんなものか。案外大丈夫じゃん」と思う。

強面な転校生がやってきて最初は遠巻きにしていたけど、ちょっとしたきっかけで仲良くなって親友になっていく、そんなことはよくあることです。

若い人が「高齢者」を、いわゆる健常な人が「障害」や「病気」を、一般の人が「福祉」というものを捉えるのと、ちょっと似ていると思います。

あ、自己紹介が遅くなりました。

医療法人かがやき 総合在宅医療クリニック 総合プロデューサー

平田節子と申します。最初の東京オリンピックの年(1964年)に生まれていますので、まだ若くてピチピチです。

バブル時代はお立ち台には立たずに、毎夜23時まで仕事をしてから飲みに行くという、当時流行った「24時間働けますか〜」のフレーズを地で行く20代。25歳から48歳までずっと採用広告や企業パンフレットなど「働くこと」に関わる広告を作ってきました。

完全なビジネスの世界にいましたから、在宅医療なんて関わりがなく。友達たちに仕事を変わるというと、多くの人がちょっと目を伏せながら言葉が少なくなったのが印象的でした。「高齢者?介護の世界?なんでそんな暗いところを選ぶの?」と正直に切り込んできた友達もいます。

私が在宅医療に関わることになったのは、在宅医療は「日本の家族を変える」と思ったから。当時、私は全国の教育NPOや経済産業省と一緒に公立学校の「キャリア教育」推進のお手伝いをしており、資格制度やテキストを作ることに関わっていました。いまの学校教育を変えて「幸せに生きる人」をどう育んでいくのか。さまざまな壁をどう乗り越えていくか。・・・そんな時に在宅医療の現場を見たんです。

今の職場「総合在宅医療クリニック」のホームページ作成のための診療同行でした。末期がんの40代女性とその隣に夫。その家を出た後で「あの男性はね、元ダンナさんなんだよ」と教えてもらいました。え??離婚してシングルマザーとして子どもふたりを育てている時に、がんに罹患。あと数ヶ月の余命で自宅に帰ってきた時、なんらかの話し合いがあって、元夫が家に帰ってくることになった。最近は家族みんなで旅行にも行けたということでした。

もしも母親が入院したままだったとしたら・・・。子ども達は週末にお見舞いに行くものの間が持たず「もううるさいから帰りなさい」と叱られ。ドラマのように授業中に先生がガラッと扉を開けて「すぐに病院に行け!」とか言われて、突然の母親の最期を確認するんでしょうか。

でもおうちにいれば、たとえ寝たきりであっても「いってらっしゃい」「おかえり」と母親が迎えてくれ、ベッドの脇で宿題をして、時には一緒に寝たりして甘えて、そして弱っていく母親を目にしながら悲しい現実も少しずつ受け入れることができます。母親の姿を見ながら「限りある時間を生きる」ということを学ぶ。おまけに今回の場合は、父親像も「自分たちを捨てていった人」ではなく、「本当にいてほしい時にいてくれた人」として彼らの心に残ります。「生きる意味」を子どもたちは自然に学ぶ。こんな学びは学校教育には到底無理です。

家族が変われば、地域が変わる、育つ子どもが変わる。

地域が変われば、社会が変わる。子どもが変われば、未来が変わる。

そんな思いが発端になって、いま私は在宅医療クリニックにいます。

「効率」を大切にしてきた日本は、病気の人や障害を持っている人を自分たちの生活から切り離してきました。病気の人は病院へ、障害の人は入所施設に、高齢者は介護施設に。その結果がいまの社会です。強い人だけが生きやすい世の中。でも、その強い人だって、病気になってしまえばあっという間に生きづらくなる。

もっといろんなもの、弱さやもろさを認めて抱え込んでしまった方が、本当の意味で強くなれると思うんですよね。

個人も、家族も、社会も。

「健康第一」はいいけれど、健康じゃなくなったらもうダメみたいな社会はおかしいよ。「命は地球より重い」と命の大切さを伝えるのはいいけれど、その標語だけで思考がストップしていない?

健康ってなに?命ってなに?もっと話し合おうよ。

娘の高校の卒業式で、牧師である校長は「命は誰かのため、なにかのために捧げるときに輝く」と言いました。あまりに衝撃的で忘れません。「あなたのため、自分のために頑張れ」という教育が蔓延している中で、そんな言葉を教育現場で言うとは、さすがキリスト教すごいなぁ。

ちなみに私は「あなたのために頑張れ」と言われるよりも、誰かのために何かしている時に励まされる方が頑張れる。そちらの方が、確かに私の命が輝いている気がする。自分の健康や自分の命、自分の生活だけを第一に守ろうとするっていうのは、あんまり命が輝かない感じがするんですよね。

「誰かのため」っていうのは偽善的、しょせん自分のためなんでしょ、とか言う人には言わせておきなさい。誰かのためになりたいっていうのは、牙も角も持っておらず共同で生きなければならなかったか弱き人間のDNAにすり込まれていると、私はなんのエビデンスもなく信じている。


そうそう、今回のコラムのテーマは「福祉の働き手」でしたね。

そう考えるとね、福祉の働き手になること、(う〜んこれもいろんなイメージがつきすぎてる言葉ですね、まぁ、それはきっと誰か他に語ってくれると思うので置いておきますが)、「目の前の人のために働いていることが実感できる」仕事は、人間のDNAに正直な仕事だし、自分の命が輝くと思う。

広告を作っている時の私は「これは仕事を探す人、求人する人のためになっている」と想像力を膨らませながら頑張っていました。もちろんすべての仕事が誰かのためになっているのだけれど、それを実感しやすい仕事としにくい仕事があるのは事実だと思う。そしてビルの中でパソコンを叩いていると、すごく意識していないとそれを忘れやすい。

医療や福祉は「専門職」化しすぎて、ブラックボックスになってしまったね。クオリティにこだわるあまりに緻密になりすぎて、専門職の中でまた様々な資格ができていわゆるガラパゴス化。ほかの島にいる人から見ると、その進化の方向性はワケがわからないし、その島にはうかうか近寄れない。

でもね、病気と闘う急性期病院は別として、医療も福祉も基本的には誰かの生活を支えるだけだから、本来的には誰でもできる仕事だと思う。寝て、食べて、排泄して、話して、働いて、遊んで、学んで、わかちあって・・・。そういう日常をよりラクにおくれるようにお手伝いするだけ。今はそれぞれの職種の人達が専門的に分業しているけれど、分業しなくちゃいけないわけでもない。介護保険とか、医療保険とか、障害福祉サービスとか公的なお金を使ってもらおうとすると特定の資格が必要になるだけで、ある特定の資格がなければできない訳でもない。

・・・保育園で子ども育てるのには「保育士資格」がいるけど、自分の子どもと隣の子どもを一緒に遊ばせているのは普通の人でもやれるでしょ。

私が広告業界から、ある日突然、縁あって在宅医療の世界に飛び込んだように。

まったく違う業界から、福祉や医療の世界に飛び込んでくる「おっちょこちょい」は実はもっとたくさんいると思う。ただちょっとしたきっかけが必要なだけ。

「ほっちのロッヂ」はそのきっかけになる場だと思っている。

実際に何をやるのか私もまだよくわかっていないけれど(笑)、このわからなさや、予測できない感じがちょうどいい。驚きはきっかけになるから。

私も「驚き」をきっかけに一歩ずつ入り、いまではすっかりズブズブと浸かり、いま心がけていることは「医療の島の人」になりきらないこと。「医療」や「福祉」を違う島から冷静に見る視点を失わないこと。

まったく同化してしまったら、他の島から来た意味ないでしょ、と思ってる。

今までの自分を捨てるのではなく、大切にしながら、福祉の世界にそれを持ち込んでもらいたい。あなたの世界を持ち込んで、隣の人の生活をより豊かなものにしてほしい。それがきっとあなたの命を輝かせることにもなるから。

そして「ほっちのロッヂ」で驚いたら、どうぞ「かがやきロッジ」にも遊びに来てね。

2019年9月1日 11時〜「かがやきロッジと在宅医療の話」をかがやきロッジで、私がお話します。名古屋から電車で23分+徒歩11分。ご興味のある方はどうぞ。同日13時半〜「beの肩書きワークショップ」も実施します。

自分の「do」を考える前に「be」を考えてもいいかも。詳細はこちらから。

9月1日(日) 
第一部 11時〜12時
「かがやきロッジと在宅医療」
話し手:総合在宅医療クリニック プロデューサー 平田節子
第二部 13時半〜15時半
話し手:「beの肩書ワークショップ」
勉強家の兼松佳宏さん

書き手:医療法人かがやき 総合在宅医療クリニック 総合プロデューサー
平田節子